2月モールス原稿
ori
2023/02/04(Sat) 19:55 No.441
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桜島大根の紹介
浜ちゃん
2023/01/30(Mon) 11:05 No.440
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Happy New Year
Shigeo-kun
2023/01/19(Thu) 22:44 No.438
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相当遅れましたが、今年もよろしくお願いいたします。先日、無線を離れて、初めてモールス信号を聞きました。三十年以上聞いたことがないので分かるかなぁと思ったのですが、バッチリ暗記受信ができました。
これは、脳トレにもなるかなと時々聞くことにします。
何はともあれ、福岡マラソンのRevengeをしなければなりません。3月5日の鹿児島マラソンに向けて、Level upした自分自身を作り上げるべく、楽しんで練習しています。
これは、脳トレにもなるかなと時々聞くことにします。
何はともあれ、福岡マラソンのRevengeをしなければなりません。3月5日の鹿児島マラソンに向けて、Level upした自分自身を作り上げるべく、楽しんで練習しています。
Re: Happy New
浜ちゃん
2023/01/26(Thu) 15:51 No.439
モールス信号はJOS会のホームページのモールス通信で認知症予防?の為に聞いています。毎月内容が変わり速度も変えられ係の方に感謝です。モールス符号聞くと和文タイプのキーに指が動くのは私だけでしょうか。(右小指からエリサマイシカタハルと)
菜の花マラソンも3年振りに開催され菜の花の咲いた沿道をランナー の走る姿が新聞に載ってました。
菜の花マラソンはおもてなしマラソンとも言われて沿道で腹皮(鰹節を作る時に鰹のお腹部分、マグロではトロ部分)の焼いた物や焼き芋、豚汁等を提供しています。
鹿児島マラソンも開催予定ですので頑張って下さい。
菜の花マラソンも3年振りに開催され菜の花の咲いた沿道をランナー の走る姿が新聞に載ってました。
菜の花マラソンはおもてなしマラソンとも言われて沿道で腹皮(鰹節を作る時に鰹のお腹部分、マグロではトロ部分)の焼いた物や焼き芋、豚汁等を提供しています。
鹿児島マラソンも開催予定ですので頑張って下さい。
中島みゆきとモールス
元白雲寮の住人
2023/01/12(Thu) 19:03 No.436
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♪ C.Q. C.Q....... C.Q. C.Q....... だれかいますか だれかいますか だれかいますか どこかには だれかいますか 生きていますか 聞こえていますか ♪
♪ C.Q. C.Q....... C.Q. C.Q....... 送ってみる 送ってみる あてのない呼びかけを 耳をすます 耳をすます あてのない空へ ♪
これは中島みゆきが歌う『C.Q.』という曲の一節です。作詞と作曲も彼女です。
中島みゆきのライフワークのひとつに、本人が原作・脚本・作詞・作曲・演出、そして主演をつとめる「夜会」というステージがあります。音楽劇ともいっていいようなこの「夜会」は1989年からこれまでに20公演(ひとつの公演ごとの上演回数は多いときで26回、少ないときで13回。同じ演目での再演も含まれるので、作品としては14作品)が開催され、延べ46万人が鑑賞したといわれています。
その4作品目にあたるのが、天文上の皆既日食や金環蝕と古事記のなかの「天岩戸(あまのいわと)伝説」に基づいた天照大神(あまてらすおおみかみ)と天鈿女命(あまのうずめのみこと)をめぐる物語を題材にした1992年の『金環蝕』(11月12日~12月11日、東京にて23回上演、上演時間は約2時間)です。
このステージは次のようなモールス信号の音声で始まります。「IKITEIMASUKA(生きていますか) CQ CQ DAREKAIMASUKA(だれかいますか) IKITEIMASUKA(生きていますか)」。
そして挿入歌のひとつとして、冒頭に紹介した『C.Q.』も歌われます。
また主役を演じる中島みゆきはフィナーレで、「力づくで人を泣かせることはできても、力づくで人を笑わせることはできません」と言ったあと、「その耳に届くともしれぬ信号を打ち続け、だれかいますか、だれかいますか、打てる限りの信号を打ち続け、打てる限りのアルファベットを打ち続け、アルファベットの最後の文字は、ゼット(Z)」と言い、手に持っている硬いもので舞台の床を「ツーツートト」、すなわちZのリズムで何度も打ち続け、最後の曲『泣かないでアマテラス』を歌って閉幕となります。
中島みゆきは1994年のNHKテレビのドキュメンタリー番組のなかで、この『金環蝕』について、この作品は天文と古典のクロスするところにあるストーリーなので、もし観客のなかにそれらの専門家がいたとしても恥ずかしくないよう、実際の記録を古いものから新しいものまでたくさん使ってセリフを書きあげたと述べたうえで、こう言っています。「そういえばこんなこともありました。場内にモールス信号を流す場面があって、それは私の歌からの歌詞を信号にして打って流したんです。まあ誰も分からないかもしれないけどとは思いながらも。そしたら客席で全部聴きながら解読してた人がいらしたって、スタッフがびっくりしてまして、私もちゃんとやっといてよかったなと思いました」と。
♪ C.Q. C.Q....... C.Q. C.Q....... 送ってみる 送ってみる あてのない呼びかけを 耳をすます 耳をすます あてのない空へ ♪
これは中島みゆきが歌う『C.Q.』という曲の一節です。作詞と作曲も彼女です。
中島みゆきのライフワークのひとつに、本人が原作・脚本・作詞・作曲・演出、そして主演をつとめる「夜会」というステージがあります。音楽劇ともいっていいようなこの「夜会」は1989年からこれまでに20公演(ひとつの公演ごとの上演回数は多いときで26回、少ないときで13回。同じ演目での再演も含まれるので、作品としては14作品)が開催され、延べ46万人が鑑賞したといわれています。
その4作品目にあたるのが、天文上の皆既日食や金環蝕と古事記のなかの「天岩戸(あまのいわと)伝説」に基づいた天照大神(あまてらすおおみかみ)と天鈿女命(あまのうずめのみこと)をめぐる物語を題材にした1992年の『金環蝕』(11月12日~12月11日、東京にて23回上演、上演時間は約2時間)です。
このステージは次のようなモールス信号の音声で始まります。「IKITEIMASUKA(生きていますか) CQ CQ DAREKAIMASUKA(だれかいますか) IKITEIMASUKA(生きていますか)」。
そして挿入歌のひとつとして、冒頭に紹介した『C.Q.』も歌われます。
また主役を演じる中島みゆきはフィナーレで、「力づくで人を泣かせることはできても、力づくで人を笑わせることはできません」と言ったあと、「その耳に届くともしれぬ信号を打ち続け、だれかいますか、だれかいますか、打てる限りの信号を打ち続け、打てる限りのアルファベットを打ち続け、アルファベットの最後の文字は、ゼット(Z)」と言い、手に持っている硬いもので舞台の床を「ツーツートト」、すなわちZのリズムで何度も打ち続け、最後の曲『泣かないでアマテラス』を歌って閉幕となります。
中島みゆきは1994年のNHKテレビのドキュメンタリー番組のなかで、この『金環蝕』について、この作品は天文と古典のクロスするところにあるストーリーなので、もし観客のなかにそれらの専門家がいたとしても恥ずかしくないよう、実際の記録を古いものから新しいものまでたくさん使ってセリフを書きあげたと述べたうえで、こう言っています。「そういえばこんなこともありました。場内にモールス信号を流す場面があって、それは私の歌からの歌詞を信号にして打って流したんです。まあ誰も分からないかもしれないけどとは思いながらも。そしたら客席で全部聴きながら解読してた人がいらしたって、スタッフがびっくりしてまして、私もちゃんとやっといてよかったなと思いました」と。
RE中島みゆきと
浜ちゃん
2023/01/15(Sun) 15:17 No.437
凄く詳しいですね。
知らなかったので検索したらユーチューブで出て来ました。
NHKのプロジェクトXの地上の星は知っていましたが。
知らなかったので検索したらユーチューブで出て来ました。
NHKのプロジェクトXの地上の星は知っていましたが。
1月モールス原稿
ori
2023/01/06(Fri) 10:12 No.435
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2023年元旦
新年あけましておめでとうございます。
2023年はみなが明るく楽しく元気よくぴょんぴょん跳ねる年でありたい。今年もよろしくお願いします。
1月(いちがつ)は、31日間ある。 日本では旧暦1月を睦月(むつき)と呼び、現在では新暦1月の別名としても用いる。睦月という名前の由来には諸説ある。最も有力なのは、親族一同集って宴をする(睦会う)とするものであ
頃な対策をわすれずにつづけましょう
新年あけましておめでとうございます。
2023年はみなが明るく楽しく元気よくぴょんぴょん跳ねる年でありたい。今年もよろしくお願いします。
1月(いちがつ)は、31日間ある。 日本では旧暦1月を睦月(むつき)と呼び、現在では新暦1月の別名としても用いる。睦月という名前の由来には諸説ある。最も有力なのは、親族一同集って宴をする(睦会う)とするものであ
頃な対策をわすれずにつづけましょう
reモールス体験記
浜ちゃん
2022/12/28(Wed) 12:23 No.433
[返信]
元白雲寮の住人さん、色々な情報有難うございます。私も南日本新聞読みましたが記事の情報上げるには至りませんでした。私も鹿児島水産高校OBです。合格発表後モールス符号の一覧を渡され入学式まで覚えておくように言われ英単語を覚える時の表に文字、裏に符号を書いて覚えた記憶が有ります。現在はネットでモールス符号の覚え方で検索すると和文のハはハーモニカとかBはビートルズとか出て来ますね。在校時は枕崎市内中心部から西に2キロ位の花渡川(ケドガワ)沿いの薩摩酒造の近くに有り焼酎製造後の温かい蒸留水が下水から流れており冬は手を暖めていました。卒業後2年位して指宿市寄りに10キロ位離れた別府中学校の近くのJR薩摩板敷駅から歩いて2,3分の近くにに移転しました。丸刈りで男子生徒だけの学校でしたが移転後長髪許可、女子生徒も入学しています。無線通信科から情報通信科に科名が変更になり上級資格取得の短大卒認定の専攻科も有ります。(私たちの頃は熊本電波高校の第2別科、専攻科に進学していました)
同級生が先生として通信術を教えています。
皆さん良い御年を御迎え下さい。
同級生が先生として通信術を教えています。
皆さん良い御年を御迎え下さい。
二つのモールス体験記
元白雲寮の住人
2022/12/13(Tue) 19:55 No.431
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私の手元に『南日本新聞』に掲載された二つの投稿記事のコピーがあります。いずれもモールス信号に関するもので、鹿児島市内に住む高校時代の同級生から届いた電子メールに添付されていました。彼はこれらの記事を読んで、高校への合格が決まってから入学するまでのあいだにモールス符号を覚えたときのことなどを懐かしく思い出したと綴っていました。
ひとつは枕崎市立別府中学校2年の女子生徒からの昨年12月30日付の投稿です。そこには「衝撃的な高校訪問」と題して次のようなことが書かれていました。
「私たち2年生は、進路学習の一環で鹿児島水産高校を訪問しました。私が特に印象に残っているのは、情報通信科のモールス信号です。モールス信号のみで言葉が通じたときは、とても不思議に思いました。丁寧に説明してもらう中で、自分の中で不思議を納得に変えることができました。モールス信号で言葉を伝えるには、1文字1文字を音にして覚えないといけないことを知って驚きました」。
鹿児島県立鹿児島水産高校も枕崎市内にあります。別府中学校のホームページによると、この高校訪問は昨年12月8日に実施され、「高校の紹介」「高校生による課題研究の発表」「モールス信号体験」「機関コース見学」などがおこなわれたということです。添付している写真はそのときの「モールス信号体験」の様子で、鹿児島水産高校のホームページから拝借しました。なお別府中学校は今年4月現在、全校生徒が52名(1年生15名、2年生22名、3年生15名)という小さな学校です。
また鹿児島水産高校のホームページには、「情報通信科では,通信に関する総合的な勉強をしており,その中でも主に無線通信の勉強をしています。(中略)生徒はこの技術をマスターするために技術士,通信士という2種類の資格取得に向け,日々頑張り大きな成果を挙げています」と書かれています。
そしてもうひとつは、その記事を読んだ枕崎市内に住む88歳の元教師の女性からの「モールス信号、77年の時空を超えた」と題する今年1月11日付の投稿です。
彼女はこう書いています。「『衝撃的な高校訪問』と題する別府中学校2年生の文章に目を見張った。鹿児島水産高校を訪問した際、情報通信科のモールス信号に抱いた不思議さと驚きについて書いてあったからだ。私は昭和19年、当時日本だった台湾台北市立幸(さいわい)国民学校の時、モールス信号を習わされた。恐らく戦中だったからだろう。確か木製の小さい道具を机に置き、トンツートンツーと打った。五十音の語呂合わせが書かれた一覧表を渡され、すぐに覚えて級友と速さを競った。例えば「ア」はツーツートツーツーで、アーユートコーユー(ああ言うとこう言う)と記憶。「ウ」はトトツーでウタゴー(疑う)、「ユ」はツートトツーツー(憂国勇壮)といった具合だ。今でもかなり言えるようだ。教員時代、別府中学校は勤めたことがあり、受験生を引率して鹿児島水産高校にも行った。台北と枕崎が77年の時を隔ててつながったようで、不思議に思った。長生きはするもんだなあ」と。
CQ出版社『モールス通信』(1998年刊)によると、この女性のような覚え方を「合調音法」といい、それぞれの文字にあてられる合調語にはいくつか種類があるようです。たとえば「ア」はこの本では「アーケード通行(アーケードツーコー)」、投書した女性の覚え方は「ああ言うとこう言う(アーユートコーユー)」というふうに。ちなみに私の両親も「イ」は「伊藤(イトー)」、「ロ」は「路上歩行(ロジョーホコー)」、「ハ」は「ハーモニカ」で覚えていましたが、この本によると「ロ」は「路傍の塔(ロボーノトー)」となっています。
またこの『モールス通信』という本には「長崎無線電報サービスセンタ」に関する記述もあり、「長崎無線局の生い立ち」や「長崎無線局の無線設備」などについて6枚の写真付きで紹介されています。そして取材に協力したJOSの人びとの名前を挙げて謝辞も書かれています。
ひとつは枕崎市立別府中学校2年の女子生徒からの昨年12月30日付の投稿です。そこには「衝撃的な高校訪問」と題して次のようなことが書かれていました。
「私たち2年生は、進路学習の一環で鹿児島水産高校を訪問しました。私が特に印象に残っているのは、情報通信科のモールス信号です。モールス信号のみで言葉が通じたときは、とても不思議に思いました。丁寧に説明してもらう中で、自分の中で不思議を納得に変えることができました。モールス信号で言葉を伝えるには、1文字1文字を音にして覚えないといけないことを知って驚きました」。
鹿児島県立鹿児島水産高校も枕崎市内にあります。別府中学校のホームページによると、この高校訪問は昨年12月8日に実施され、「高校の紹介」「高校生による課題研究の発表」「モールス信号体験」「機関コース見学」などがおこなわれたということです。添付している写真はそのときの「モールス信号体験」の様子で、鹿児島水産高校のホームページから拝借しました。なお別府中学校は今年4月現在、全校生徒が52名(1年生15名、2年生22名、3年生15名)という小さな学校です。
また鹿児島水産高校のホームページには、「情報通信科では,通信に関する総合的な勉強をしており,その中でも主に無線通信の勉強をしています。(中略)生徒はこの技術をマスターするために技術士,通信士という2種類の資格取得に向け,日々頑張り大きな成果を挙げています」と書かれています。
そしてもうひとつは、その記事を読んだ枕崎市内に住む88歳の元教師の女性からの「モールス信号、77年の時空を超えた」と題する今年1月11日付の投稿です。
彼女はこう書いています。「『衝撃的な高校訪問』と題する別府中学校2年生の文章に目を見張った。鹿児島水産高校を訪問した際、情報通信科のモールス信号に抱いた不思議さと驚きについて書いてあったからだ。私は昭和19年、当時日本だった台湾台北市立幸(さいわい)国民学校の時、モールス信号を習わされた。恐らく戦中だったからだろう。確か木製の小さい道具を机に置き、トンツートンツーと打った。五十音の語呂合わせが書かれた一覧表を渡され、すぐに覚えて級友と速さを競った。例えば「ア」はツーツートツーツーで、アーユートコーユー(ああ言うとこう言う)と記憶。「ウ」はトトツーでウタゴー(疑う)、「ユ」はツートトツーツー(憂国勇壮)といった具合だ。今でもかなり言えるようだ。教員時代、別府中学校は勤めたことがあり、受験生を引率して鹿児島水産高校にも行った。台北と枕崎が77年の時を隔ててつながったようで、不思議に思った。長生きはするもんだなあ」と。
CQ出版社『モールス通信』(1998年刊)によると、この女性のような覚え方を「合調音法」といい、それぞれの文字にあてられる合調語にはいくつか種類があるようです。たとえば「ア」はこの本では「アーケード通行(アーケードツーコー)」、投書した女性の覚え方は「ああ言うとこう言う(アーユートコーユー)」というふうに。ちなみに私の両親も「イ」は「伊藤(イトー)」、「ロ」は「路上歩行(ロジョーホコー)」、「ハ」は「ハーモニカ」で覚えていましたが、この本によると「ロ」は「路傍の塔(ロボーノトー)」となっています。
またこの『モールス通信』という本には「長崎無線電報サービスセンタ」に関する記述もあり、「長崎無線局の生い立ち」や「長崎無線局の無線設備」などについて6枚の写真付きで紹介されています。そして取材に協力したJOSの人びとの名前を挙げて謝辞も書かれています。
のど自慢
浜ちゃん
2022/12/09(Fri) 10:29 No.430
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申し込んだけど駄目だったんですね。
やはり地元優先かな?
新幹線の開通前に駅から線路を歩こうのイベント風景がニュースで有りましたが知人は抽選に外れたと言ってました。
当初鹿児島中央駅から新八代駅まで開通して同じホームで在来線の特急列車に乗り換えて熊本に行った事が有ります。それまで2時間が1時間に短縮。武雄から長崎駅も同じ方式だと思います。
やはり地元優先かな?
新幹線の開通前に駅から線路を歩こうのイベント風景がニュースで有りましたが知人は抽選に外れたと言ってました。
当初鹿児島中央駅から新八代駅まで開通して同じホームで在来線の特急列車に乗り換えて熊本に行った事が有ります。それまで2時間が1時間に短縮。武雄から長崎駅も同じ方式だと思います。