過去ログ:
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マチャアキさん    user.png 元白雲寮の住人
time.png 2022/10/15(Sat) 22:53    No.409

NHKの連続テレビ小説『舞いあがれ!』第9回(宴会の場面)と第10回(ばらもん凧をあげる場面)に登場したマチャアキ(山崎雅明)さんを、インターネット上の「NHKプラス」で拝見しました。とても懐かしかったです。市来さん、お知らせありがとうございました。

朝ドラ見ましたか?    user.png 市来 政文
time.png 2022/10/15(Sat) 21:00    No.408

NHK朝ドラ「舞い上がれ」(10月3日~)を見ていますか?
パイロットを目指す女性が主役です。東大阪が舞台ですが、身体が弱く、一時的に五島の祖母の家で生活します。そのドラマの「五島編」にあの山崎雅明さんが出演していました。 場面は主人公が鬼岳でばらもん凧を上げるシーン。また宴会の場面では前川清、哀川翔さんの隣りにいました。セリフはなかったように思います。 ロケ中には高畑淳子さんとも話したそうです。実はNHK出演は2回目で、諫早の地元劇団で活動していることから出演の縁があるようです。

楽しむ    user.png Shigeo-kun
time.png 2022/10/14(Fri) 23:23    No.407

福岡マラソンの参加要項も届きました。まだ42km走る体になっていませんが、この1ヶ月で帳尻を合わせるつもりです。月末には30km+を走れるようにするつもり、これが出来れば完走できるかなぁ。

御元気で何よりです    user.png 浜ちゃん
time.png 2022/10/14(Fri) 13:38    No.406

shigeo-kunさん御元気でランニングとか今度鹿児島マラソンにも参加されるそうで元気で何よりです。私は週1回プールで泳ぐ位です。鹿児島はコロナ感染者が先日は146人でしたが最近又400人とか発表が有り鹿児島マラソンの時は終息していれば良いですね。

10月モールス原稿    user.png ori
time.png 2022/10/05(Wed) 17:42    No.405

10月(October)31日ある。旧暦で神無月と言い、新暦では10月の別名としてもちいる。爽やかな青空が広がり、飛行機雲がよく似合う季節です。10月の祝日には第2月スポーツの日がある。
10月の花、シクラメン、シュウメイギク、パンジー・ビオラ、リンドウ、オキザリス、ケイトウ、ダリア、ッセンニチコウ、スィートアリッサム、コスモス、コルチカム、セフィランサスなどなど。
10月は食欲の秋、芸術の秋、衣替え、運動会、秋まつり、ブドウ狩り、栗拾いなどなど、マスク着用するなどコロナ対策をつづけましょう。

バナナ黄色く    user.png 浜ちゃん
time.png 2022/09/28(Wed) 15:29    No.404

先程の写真の大きくなった何本かの青いバナナを数本追熟の為
室内に置いていたら黄色くなり食べたら普通のバナナの味がしました。台湾とかからのバナナは青いまま輸入してエチレンガスとかで黄色く追熟するそうです。(黄色くなったのは虫とかの関係で輸入出来ないそうです)

安心しました。    user.png Shigeo-kun
time.png 2022/09/24(Sat) 22:48    No.403

浜ちゃんのコメントがないので、心配していました。それにしてもバナナとはすごいですねー。私は、心ならずも福岡マラソン(11月13日)の抽選にあたったので、ゴールできるように適当に頑張っています。明日は、チンタラチンタラ20kmを走ろうと思っています。来年3月5日の鹿児島マラソンにもエントリーしました。お金も払いました。その前に白内障の手術もせにゃいかんかなぁとも思ったりしています。

バナナが実りました    user.png 浜ちゃん
time.png 2022/09/23(Fri) 15:07    No.402

皆さん台風の影響はどうだったでしょうか?
鹿児島は直撃で前後風雨が強かったですが人的被害は幸い無かったですか菜園に植えているバナナ(知人から苗を貰って品種不明、モンキー、島、三尺バナナでもない植えて二年目)が3本の内2本が折れて後が大変でした。幸い収穫前のバナナは無事でした。写真は収穫前の青い物で追熟します。

我が「しもやん」    user.png Shigeo-kun
time.png 2022/09/16(Fri) 22:59    No.401

もう60年前になりますが、初めて無線に着任した時に、最初に面倒を見てくれたのが、下永さんたちでした。なにしろ隣の部屋でしたから、本当に可愛がってもらいました。色んなことでご迷惑をかけましたが、最後に「すみませんでした。」と謝ることで、新たな自分自身がスタートできたので、自分では良かったと思っています。自分としては、下やんが一番の優れもんだったなぁーと思っています。ありがとうございました。

中秋の名月    user.png ori
time.png 2022/09/11(Sun) 19:07    No.400

昨夜 一時 眺めました。

9月モールス原稿    user.png ori
time.png 2022/09/05(Mon) 21:10    No.399

9月(September) 夏と秋の境目とした季節である。 日本では、旧暦9月を長月(ながつき)と呼び、現在では新暦9月の別名としても用いる。9月はその年の12月と同じ曜日で始まります。
9月の祝祭日は、敬老の日(9月の第3月曜日) 秋分の日(9月23)があります。代表的な 9月の花 はヒガンバナ キンモクセイ キク リンドウ シオン コスモス ハギ ススキ アメリカフヨウ アベリア マリーゴールド イタドリ イヌサフランなどなど。
コロナ感染症の終息が見えません。平常の日常が戻ってほしい。辛抱強くコロナ対策をつづけましょう。

はまちゃん?    user.png Shigeo-kun
time.png 2022/08/08(Mon) 22:45    No.398

最近、全然アクセスがないですねー。
私は、娘家族が帰ってきて、自由が制限されていますが、夕方から1時間35°cのなかを、走っています。本当はもっと長く走りたいのですが、スタミナ切れになります。暑さには敵いません。50mも歩けなかった私がなんで今走れるのかなぁと不思議ではありますが、サプリとNHKのためしてガッテンのおかげかなー、良いことはなんでも試すのだ!

8月モールス原稿    user.png ori
time.png 2022/08/05(Fri) 09:41    No.397

8月モールス原稿
8月(August)31日ある。日本では旧暦8月を葉月と呼び、現在では8月の別名として用いる。
8月に行われる主なスポーツ 8月初旬から下旬、全国高等学校野球選手権大会、全国高等学校総合体育大会、全国中学校体育大会。8月と言えばお盆、祝日ではないものの、一般的に8月15日前後のお盆時期は、帰省のシーズンともなります。8月の花の代表は太陽のような「ひまわり」その他、朝顔やハスなどの夏の朝をすがすがしく彩ります。8月下旬ともなれば、キキョウや萩、オミナエシ、ワレモコウといった花も次々と咲き始め、季節の移ろいを感じ始める頃でもあります。
コロナ感染症の拡大が収まりません、基本的な感染予防を怠りなくつづけましょう。

野呂邦暢さん    user.png Shigeo-kun
time.png 2022/08/01(Mon) 22:51    No.396

それぞれに、思いがあるのですねー。私も、同じ町内のギタークラブの野呂さんの友達の人から、「あれは誤診だよ」と怒って言われたことを思い出しました。それは、・・・。私は、福岡マラソンのために、毎日少しずつ自分自身のレベルをアップするために、練習を積み重ねています。今週の週末、10kmのタイムトライアルに挑戦できるように、暑さの中奮闘中です。そして9月のトライアルには21kmを走れる状態にまでにはならないとと思っています。筋肉と脳力は歳に関係なく進化するという学説を信じて頑張ります。

喫茶「らんぶる」    user.png 元白雲寮の住人
time.png 2022/07/24(Sun) 11:28    No.395

村上國夫さんの投稿を見て驚きました。添付資料にある『社会新報』の日付が1980年5月6日、野呂邦暢さんが心筋梗塞のために諫早市仲沖町の自宅で亡くなったのが翌日5月7日の未明だったからです。まだ42歳という若さでした。貴重な資料をありがとうございました。

村上さんがときどき野呂さんを見かけたという八天町にあった喫茶店「らんぶる」。私もときたま利用したことがあります。カウンター席のほかにテーブル席もあり、あまり時間のことを気にする必要のない落ち着いた雰囲気の店だったと記憶しています。
そして野呂さんにとっては、その店の名前からも特別の思い入れがあった場所のような気がしています。
1956年に諫早高校を卒業した野呂さんは、京都大学文学部の受験に失敗し、しばらくのあいだ浪人生活をしていたものの、家庭の事情で進学を断念、また諫早での就職もままならなかったため、その年の10月に上京します。そしていくつかの仕事を経たのちガソリンスタンドの店員になりました。そこでの月に2日あった休日の楽しみは、当時神田の神保町(じんぼうちょう)にあった名曲喫茶「らんぶる」で半日を過ごし、残りの時間で古本屋を軒並みまわることだったそうです。
そのときの「らんぶる」での過ごし方について、随筆のなかでは次のように書いています。「神保町の名曲喫茶〝らんぶる〟には備えつけの画集や詩集があった。月に二日の休日を私は〝らんぶる〟ですごした。そこで見つけた小野十三郎の分厚い詩集を半日がかりで読みふけった。ウェイトレスの厭がらせなど気にしなかった」と。

野呂さんの叔父さん    user.png 元白雲寮の住人
time.png 2022/07/22(Fri) 19:31    No.394

先日の市来政文さんの投稿では、分会主催の文化講演会(1978年5月20日)のなかで野呂邦暢さんが、彼の叔父さんのことについても話していたとのことでした。電電公社に勤めていたというこの叔父さんは、野呂さんの人生に大きな影響を与えた人物のひとりだと言われていますが、私は、この叔父さんが「長崎無線電報局にも在籍していたことがあるのではないか」と推測しています。

野呂さんは1937年9月に長崎市岩川町で生まれましたが、1945年春の父親の応召にともなって、母親の実家がある諫早市城見町に疎開します。そこには野呂さんの祖母とこの叔父さん(母親の弟)が住んでいました。そして同年8月9日の原爆投下により長崎市内の実家が焼失したため、戦後も一時期を除いて諫早市内の城見町、厚生町、仲沖町などに住み続けました。野呂さんは、ひとまわり年上のこの叔父さんから読書、音楽、絵画などを楽しむ手ほどきを受けたそうです。

野呂さんの短篇小説「歯」(『群像』1976年1月号に掲載)のなかに、長崎無線電報局を想起させる次のような一節が出てきます。「子供の頃のことである。男は三日か五日のわりで夜勤をつとめる兄のために弁当を運んだ。職場である無線局は郊外の山裾にあり、そこへ行くには墓地のある丘を越えなければならなかった」。主人公の「男」は野呂さんを、「兄」はこの叔父さんをモデルにしているのではないかと思います。

ちなみにNTT長崎無線電報サービスセンタ編集委員会編『長崎無線91年のあゆみ』(1999年刊)の巻末にある「社員名簿」にも、この叔父さんと思われる人の名前が載っています。なお野呂さんはある随筆のなかで、1962年の秋に「私は熊本に転勤していた叔父の家を訪ねた」とも書いています。

野呂さんに思う    user.png 村上國夫
time.png 2022/07/22(Fri) 15:36    No.393

野呂さんのことを私も思い出した。無線局での講演会に出席し、とつとつとした野呂さんの話を聴いてました。講演のあと書籍の販売があり、2冊を購入した。「草のつるぎ」の表紙ウラに「村上国夫様 草のつるぎ 野呂邦暢」と万年筆で署名、「諫早菖蒲日記」は筆で「諫早菖蒲日記 野呂邦暢」と記した名前の下に落款、次のページが中表紙でそのウラに私の名前を万年筆で丁寧に書き込んである。どんなやり取りをしたか、覚えていない。
竹の下のバス亭から本明川の方向へ入ったところに「らんぶる」という喫茶店がありました。ドアを開けると左手にカウンター席が7席ほど奥へ並んでいて、その中央よりひとつほど奥の席に、野呂さんが座っていた。何をされていたか、もう忘れてますが、何度かその姿をお見かけしました。添付したのは、社会新報(1980.5.6)掲載の野呂さんの随想です。野呂さんのやさしさが読み取れます。

野呂さんのこと(2)    user.png 市来 政文
time.png 2022/07/18(Mon) 23:16    No.392

没後10年の記念講演会には下条友喜さんと一緒に聞きに行きました。丸山健二さんは「自立の文学」と題し、仙台電波でのモールス通信の練習を引き合いに、モールス通信は手崩れしたら基本動作に戻る、小説も同じ、と野呂さんの弱さを指摘されていました(私にはそう聞こえた)。またあの風体から話の冒頭で「山口組ではありません」と言って笑いを取っていました。因みにいま諫早美術・歴史館で「諫早菖蒲日記」を使った諫早藩(主人公志津15歳)の歴史の読み解きが開催されています。 ※先ほどの記事で参加者を30年くらい・・と書きましたが勿論30人です。

野呂邦暢さんのこと    user.png 市来 政文
time.png 2022/07/18(Mon) 23:01    No.391

元白雲寮の住人さんの野呂さんの話を見て、思い出しました。
当時、分会で「文化講演会」をやろうと、誰が話しにいったのか知りませんが、実現し、当時は局舎が改装中でプレハブ建ての2階会議室で開催しました。川上泰輔さんが手書きのポスターを描き掲示したくらいの周知でしたので、30年くらいの特に女性(家族)が多かったですね。枕では野呂さんの叔父さんが逓信省(電電公社?)勤務だったので、ときどき弁当を届けにきていたとか、大島文陽堂に聞いたら無線局の人が「世界」をよく買っているとかの話がありました。 講演の中身は丁度77年に「諫早菖蒲日記」が刊行されたばからだったので、江戸時代の風俗とかが中心だったと思います。正直言ってあんまり話は上手ではありませんでした。
講演後、本の販売があり、私も「諫早菖蒲日記」にサインをしてもらいました。後援会は終了後も交流会もなく、芥川賞受賞者なのにこれでいいのかな、と思いました。たしか写真も残っていないと思います。

野呂邦暢さん    user.png 元白雲寮の住人
time.png 2022/07/18(Mon) 10:42    No.390

先日久しぶりに、諫早が生んだ芥川賞作家・野呂邦暢さん(1937~1980年、1974年『草のつるぎ』で芥川賞)の評伝、中野章子著『彷徨と回帰~野呂邦暢の文学世界』(西日本新聞社、1995年刊)を、自分の諫早時代と重ね合わせながら読み返しました。
この本の巻末にある「野呂邦暢年譜」では、1978年5月20日に「諫早無線局にて講演」と書かれています。諫早無線局とはもちろん「長崎無線電報局」のことです。
また野呂邦暢さんは生前、仙台電波高校出身の芥川賞作家・丸山健二さん(1943年~、1966年『夏の流れ』で芥川賞)とも親交があり、没後10年の記念講演会(1990年5月13日、諫早文化会館)の講師は高樹のぶ子さんと丸山健二さんでした。

- JoyfulNote -