銚子無線局 JCS 跡地 

田上洋子さんが 2007年8月に訪ねられました。 銚子市 市民センターに展示されてます。

市民センターよりきれいな写真を送って頂きました。 



   銚子無線創業から閉局までの足跡  

 1895年(明治28)、マルコニーによる無線電信の発明により、日本でも翌1896年(明治29)
に逓信省が無線電信研究所を設置し研究と実験が繰り返された。そして、1906年(明治39)
には締結された国際無線条約に加盟し、1908年(明治41)5月16日、本銚子町平磯台(現
在の川口町)に銚子無線電信局(コールサイン「JCS」)が開局した。
 我が国最初の無線電信局は、高さ約70mの木柱にアンテナを懸架し、低周波火花式送信
機( 3 kw)、コヒラー受信機を使用したもので、同年5月27日に横浜港からシアトルへ向
かっていた丹後丸との間でわが国最初の無線電報を取り扱った。当時の通信距離は150マ
イル程度と短かったため、同年7月に長崎・角島・潮岬、12月には落石に海岸局を開設し
通信圏を広げ、丹後丸・天洋丸・伊予丸・安芸丸など次々と開局した船舶局との通信が実
用化され、まさに海上通信時代の幕明けとなった。
 モールス通信は、送信機から発射される電波が電離層と地表との間で反射を繰り返して
遠方へ伝搬するもので、その通信能力は送信機・受信機の改善と電力アップにより地球の
裏側へ到達するまで飛躍し、船舶と陸との一般通信はもとより気象電報、航行警報、医療
電報なども扱い、海上における安全の確保、遭難救助、海運事業、漁業の発展に大きく寄
与した。
 1929年(昭和4)、送信所と受信所を分離し、受信所を当地に移転(小畑受信所)した。
1939年(昭和14)には送信所が野尻町に移転(椎柴送信所)通信相手である船舶の増加に
伴う海上通信の需要に呼応するために、1960年から1972年(昭和35~47)にかけて電量ア
ップ(10kw~15kw)と増波につぐ増波を重ね、名実ともに世界一の無線局「JCS」へと躍
進し、全世界の海上通信の要としての地位をゆるぎないものとした。
[最盛時の運用波=中波、短波(4MHz~22MHz、コールサインJCS・JCT・JCU・JDC)19波、
南極専用波等]
 通信相手は、世界の七洋を航海する日本船舶・外国船舶、遠洋漁船、捕鯨船団等に加え、
南極昭和基地、小笠原諸島(返還に伴う通信確保)で、その無線電報の取扱数は1970年
(昭和45)には年間130万通を超えピークに達した。
 この隆盛を極めたモールス通信技術も、1968年(昭和43)に開始された遠洋船舶電話、海
運界の近代化や1976年(昭和51)以降の衛星通信方式の急速な展開等により、20世紀の海
上通信を担て来た銚子無線局は、その任務を新たな通信技術と国際条約GMDSSに託し、
1996年(平成8)88年間の歴史を閉じた。

   沿革  

1908年(明治41) 銚子無線電信局開設
1910年(明治43) 海上気象電報取扱い開始
1914年(大正 3) 送信機を瞬滅火花式に変更
1921年(大正10) 受信検波器に真空管を使用
1926年(昭和 1) 年賀電報取扱い開始、無線標識業務を開始
1928年(昭和 3) 真空管式送信機に変更
1929年(昭和 4) 送信所と受信所を分離、受信所を当地に移転(小畑受信所)
1938年(昭和13) 送信所を現在の銚子市野尻を開始
1939年(昭和14) 送信所を現在の銚子市野尻町へ移転(椎柴送信所) 
        南氷洋捕鯨船団との通信の経由無線局に指定される
1949年(昭和24) 銚子無線電報局と改称(逓信省分割)
1957年(昭和32) 南極昭和基地(距離14,000㎞)との通信開始
        自動掃引式短波受信機(RS2201型)に変更
1960年(昭和35) 短波JCU 4波増波(出力も10~15kw)と大電力化、この頃から昭和47年にかけて
        相次いだ増波・大電力化で名実ともに世界一の無線局「JCS」へと躍進
1968年(昭和43) 小笠原諸島返還に伴う通信再開(昭和49休止)
        年賀電報総取扱通数174,872通でピークを記録
1977年(昭和52) 捕鯨席協定通信終了
        チャンネル自動切替式受信機(RS112型)に変更
1985年(昭和60) 民営化によりNTT銚子無線電報局と改称
1987年(昭和62) 5月1日新通信棟完成
1988年(昭和62) 中波局集約、SMARTシステム運用開始、国内マリンテレサービス開始
1989年(平成 1) 国際無線テレックスサービス開始
1992年(平成 4) 銚子無線電報サービスセンターと改称
1996年(平成 8) 3月31日、閉局