私の手元に『南日本新聞』に掲載された二つの投稿記事のコピーがあります。いずれもモールス信号に関するもので、鹿児島市内に住む高校時代の同級生から届いた電子メールに添付されていました。彼はこれらの記事を読んで、高校への合格が決まってから入学するまでのあいだにモールス符号を覚えたときのことなどを懐かしく思い出したと綴っていました。
ひとつは枕崎市立別府中学校2年の女子生徒からの昨年12月30日付の投稿です。そこには「衝撃的な高校訪問」と題して次のようなことが書かれていました。
「私たち2年生は、進路学習の一環で鹿児島水産高校を訪問しました。私が特に印象に残っているのは、情報通信科のモールス信号です。モールス信号のみで言葉が通じたときは、とても不思議に思いました。丁寧に説明してもらう中で、自分の中で不思議を納得に変えることができました。モールス信号で言葉を伝えるには、1文字1文字を音にして覚えないといけないことを知って驚きました」。
鹿児島県立鹿児島水産高校も枕崎市内にあります。別府中学校のホームページによると、この高校訪問は昨年12月8日に実施され、「高校の紹介」「高校生による課題研究の発表」「モールス信号体験」「機関コース見学」などがおこなわれたということです。添付している写真はそのときの「モールス信号体験」の様子で、鹿児島水産高校のホームページから拝借しました。なお別府中学校は今年4月現在、全校生徒が52名(1年生15名、2年生22名、3年生15名)という小さな学校です。
また鹿児島水産高校のホームページには、「情報通信科では,通信に関する総合的な勉強をしており,その中でも主に無線通信の勉強をしています。(中略)生徒はこの技術をマスターするために技術士,通信士という2種類の資格取得に向け,日々頑張り大きな成果を挙げています」と書かれています。
そしてもうひとつは、その記事を読んだ枕崎市内に住む88歳の元教師の女性からの「モールス信号、77年の時空を超えた」と題する今年1月11日付の投稿です。
彼女はこう書いています。「『衝撃的な高校訪問』と題する別府中学校2年生の文章に目を見張った。鹿児島水産高校を訪問した際、情報通信科のモールス信号に抱いた不思議さと驚きについて書いてあったからだ。私は昭和19年、当時日本だった台湾台北市立幸(さいわい)国民学校の時、モールス信号を習わされた。恐らく戦中だったからだろう。確か木製の小さい道具を机に置き、トンツートンツーと打った。五十音の語呂合わせが書かれた一覧表を渡され、すぐに覚えて級友と速さを競った。例えば「ア」はツーツートツーツーで、アーユートコーユー(ああ言うとこう言う)と記憶。「ウ」はトトツーでウタゴー(疑う)、「ユ」はツートトツーツー(憂国勇壮)といった具合だ。今でもかなり言えるようだ。教員時代、別府中学校は勤めたことがあり、受験生を引率して鹿児島水産高校にも行った。台北と枕崎が77年の時を隔ててつながったようで、不思議に思った。長生きはするもんだなあ」と。
CQ出版社『モールス通信』(1998年刊)によると、この女性のような覚え方を「合調音法」といい、それぞれの文字にあてられる合調語にはいくつか種類があるようです。たとえば「ア」はこの本では「アーケード通行(アーケードツーコー)」、投書した女性の覚え方は「ああ言うとこう言う(アーユートコーユー)」というふうに。ちなみに私の両親も「イ」は「伊藤(イトー)」、「ロ」は「路上歩行(ロジョーホコー)」、「ハ」は「ハーモニカ」で覚えていましたが、この本によると「ロ」は「路傍の塔(ロボーノトー)」となっています。
またこの『モールス通信』という本には「長崎無線電報サービスセンタ」に関する記述もあり、「長崎無線局の生い立ち」や「長崎無線局の無線設備」などについて6枚の写真付きで紹介されています。そして取材に協力したJOSの人びとの名前を挙げて謝辞も書かれています。