出版しました    user.png shiwaku
time.png 2023/11/10(Fri) 09:41 No.495

故郷の歴史ながら江戸時代の海運史となりました。生家の前は塩飽勤番所で信長、秀吉、家康等の朱印状があり、公儀御用の船方として江戸時代は日本海側より御城米運送に従事し弁才船数百隻を持つに至り幕末には洋式軍艦に乗り込み咸臨丸渡米時には三七名乗り組んでおり小笠原探検、オランダまで開陽丸受け取りにでかけております。廻船問屋塩飽屋は全国に及び北海道から熊本まで分布しております。熊本川尻には現在でも塩飽屋があり熊本城攻城戦において西郷軍の本陣となっています。ヨットにて東北北海道を巡り先祖の足跡をたどったりしております。

Re: 出版しました    user.png Shigeo-kun
time.png 2023/11/10(Fri) 23:11    No.496
凄いですねー。ヨットで巡っていると言うところが、更にAmazing!
Re: 出版しました    user.png 浜ちゃん
time.png 2023/11/16(Thu) 10:52    No.497
出版凄いですね。
本を拡大すると出版者名が解りました。
熊本出身とは知りませんでした。
西郷軍の本陣が有ったそうで鹿児島とも縁が有りそうですね。
Re: 出版しました    user.png shiwaku
time.png 2023/11/19(Sun) 09:58    No.501
お邪魔いたします。ヨットは咸臨丸子孫の会と塩飽(香川県、江戸時代廻船を数百隻持っていた。公儀御用)の企画により日本一周を計画、私は東北北海道方面の便乗することとなり個人的には地回り(景色を見ながら船の位置を確認する)ができるかどうかと確認する事にした。能代乗船(塩飽の船が飢饉の中、米を下ろし住民を助けた記念碑がある。)嵐の予想で深浦を飛ばし陸奥湾内三厩を目指して北上、岩木山がきれいに見え位置の確認は十分。強風の中、津軽海峡に入り三厩に入るとき大きく傾き水が少し入る。三厩は凪である。一泊して塩飽の造船所があった川内湊に入り地元の歓迎を受ける。塩飽が建てた神社が今も残っている。仙台電波のSさんの地元近くである。野辺地に向かい数名の出迎えを受ける。塩飽寄贈の常夜灯が有名である。泊はヨットのベッドで幅30センチくらいである。青森湊に向かい青森県をレンタカーでまわり、蟹田に向かい市役所の歓迎を受ける。ここは塩飽丸尾家の造船所の跡。再び三厩に向かい津軽海峡横断する。陸奥湾は6割位はホタテの養殖で非常に走りにくい。松前より江差へ、江差は幕末榎本艦隊に所属開陽丸沈没の地で塩飽の人が数十名乗船しており関係者到着とゆうことで歓迎される。食事トイレ大変ですがなんとかなりました。このヨットはオーストラリア往復、アメリカ往復したこともある大型ヨットでした。私は10日間乗船し江差で下船しましたがこのあとヨットは北海道一周し太平洋側を廻、大阪へ帰りました。小笠原にも行く予定でしたが汽船で参りました。小笠原は先祖が渡米後、小笠原探検に参加、塩飽の人三名が死亡しており墓参に参りました。一応本は3冊目、今度出版したのは10年前出版し全部売り切れたため加筆して出版しました。私は熊本出身ではありません。ただ加藤清正の家臣団はほとんどが讃岐出身です。(侍大将から大名になったため家臣団がおらず尾藤知宣の家臣団を吸収した。)さらに細川家は豊後時代より大阪城の石の採掘を塩飽で行ったり借銀をしております。全然関係のないことではありません。
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